くまねこだん みっしょん16 「なぞの小さな橋を調査せよ」

お、久しぶりの橋シリーズか!
更新も久しぶりだが・・・。ちょっと生活環境が変わってバタバタしとるんじゃよ。

てなわけで、事の起こりは前のみっしょんで行った矢倉緑地の事を調べているときだった。
緑地までの道順を調べようとネットで地図検索してた時に、こんなものを見つけたのである。


どうだろう、あきらかに橋なんだけど細くない?ま、気になるのであれば調べようという事で行ってきました。
(当然、前の緑地公園に行ったついでですよ。2本撮りですよ)

事前に調べた範囲で分かったことは、橋の名前は「左門小橋」
左門殿川にかかる橋という事なんだろうねぇ。

説明しよう!
この位置が色々と興味深く、この川「左門殿川」は大阪府と兵庫県の県境になっているらしいぞ。
地図を引いてもらえるとわかるんだが、この「左門殿川」神崎川から分かれて、また神崎川と合流する。
つまり、中洲の位置にある「佃」という島(?)の北西側だけの川だ。

前回も書いたけど、この辺りは本当に「島」と付く地名が多い。なのに一番島っぽいここは「佃島」ではなく「佃」なんだよねぇ。色々調べてみたいんだけど、今日は緑地公園に行ったりで時間がないからそのことは次回以降にお届けしよう。

さて、阪神電鉄千船駅まで戻ってきたので、そのまま線路に沿って進んでみよう。

まだ行けそうだね。

お、見えた。あの橋だ。

ほほう…車も通れる橋かと思っていたら、こんな感じかぁ。

さすがに宝塚の水道橋ほどじゃないけど、人がすれ違えるくらいの幅しかない。

説明しよう!
このあたりは江戸時代には尼崎藩と大阪城代が納める直轄地との境だったようだ。
尼崎藩は豊臣秀吉の家臣だった建部政長が大坂の陣で武功を上げ、元々尼崎郡代だったものが1万石の大名に取り立てられて成立した藩だ。その後、戸田家、青山家、松平家と続いていく。

うむ、やはりこちら側は兵庫県になるようだ。
地図で確認したところ、すぐ近くに阪神電鉄杭瀬駅があるみたい。
そして尼崎というと、つい先ごろお城が再建されたというニュースを聞いたことがある。
ここからそんなに離れていないし、ちょっくら足を延ばしてみようかね。

説明しよう!
尼崎城は、 家電量販店のエディオン(旧ミドリ電化)の創業者である安保詮(あぼ・あきら)氏が私財を投じて外観復元天守を再建し、それを尼崎市に寄贈した。2018年に完成したぞ!

さて、やって来ました杭瀬駅。そしてたった二駅で到着する尼崎駅。(ほんとに近いな)

空中庭園というのが気になったので、こちらからお城へ。

エスカレーターで上に登るとちょっとした公園になっており、そこからは駅なめのお城が撮影できる。

そして指示に従いエレベーターで降りる。

ふむふむ左に420mね。

まだ新しいから綺麗だね。

ふむ「戸田左門氏鉄」さっきまでいたのが「左門殿川」で「左門小橋」ということは、この方の名前が残ってるという事なんだね。
掘削したと碑にはあるから、左門殿川は治水のために掘られたのかな?

ふむふむ、お堀も再現されていて5万石のお城にしては立派でござるな。
まぁ、西国で反乱がおきた場合、姫路・明石が抜かれたら大阪城まではこの尼崎城しかないからねぇ
姫路が抜かれるって、もうそれだけであれだけど…。

せっかくなので、登城してみた。(大人一人500円也)

シアターがあったり、VRで江戸時代の尼崎城が見れたり、なりきり体験ゾーンなるものがあったりと、なかなか見所ありですぞ。

そして、お城の中の説明書きでこの近くに寺町という地域があり、そこにあの「法園寺」があるらしい。これは、行ってみなければ。

説明しよう!
法園寺とは佐々成正が切腹したお寺として有名だ!

寺町と名前がついているだけにお寺が並んでるね
ここは本興寺

ほほう…秀吉由緒寺とな…

廣徳寺
中国大返しの時に秀吉が逃げ込んだお寺という話が伝わっているそうな。

甘露寺
恋柱…

そして、法園寺

佐々成正公 供養三輪塔

そのお隣にある大覚寺

今回は橋からお城まで色々あって楽しかったですなぁ。

今回もくまねこだん(団員1名)の活躍により任務は達成された!
だがまだまだ色々なミッションが彼らを待ち受けているぞ!
行け行けぼくらのくまねこだん!
がんばれぼくらのくまねこだん!

くまねこだん みっしょん16
「なぞの小さな橋を調査せよ」
Mission complete